1月 31 2012

インターネットを通じて日本のテレビ番組を海外などで視聴できるようにしたサービスを巡る2件の訴訟の差し戻し審で、知財高裁は31日、NHKと民放各社の請求を認め、いずれもサービスの停止を命じる判決を言い渡した。


 飯村敏明裁判長は「テレビ番組を録画・送信していたのは個人利用者ではなく、機器を管理していた業者で、著作権侵害と認められる」と述べた。

 問題となったのは、海外の加入者から有料で預かった市販の送信機器で番組をパソコンに転送する「まねきTV」と、顧客に貸し出した録画・配信機器「ロクラク」で番組を転送するサービス。判決は、まねきTVを運営する永野商店(東京)に約166万円の賠償を、ロクラクを提供する日本デジタル家電(浜松市)には約1570万円の賠償と機器の廃棄も命じた。

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1月 30 2012
納税者の大半はサラリーマン。5時までで終わる美術館になんて行けるわけがない。自分が行けない施設になぜお金を出さないといけないのか。これで納税者の理解を得られるはずがない。開館時刻は12時とか午後1時とかでも構わない。せめて9時までは開けて欲しい。
Twitter / hiroyuki9999 (via cknbstr)土日に行けばいいんじゃね?

(horidayから)

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atm09td:

alguien puso una camara en mi cuarto xD

yo estoy a la mitad XDD hahaha mi cuarto esta dos tres y mi desktop esta dos tres XD

lol I guess I’m a boy then

I’m whoever this “me” person is XD

I’m a boy, what a surprise. lolz

(出典: unbornationpdl2hから)

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tavortiz:

La nieve en manos de un geómetra.

tavortiz:

La nieve en manos de un geómetra.

(katoyuuから)

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zenigata:

johnnychallenge:

kikuzu:

katoyuu:

jumitaka:

54kan:

♬♬何か考えのある猫。半年前のことだ けど。トンボばかり7匹とってきて、自分で綺麗にならべてあんな姿で寝転んで彼は、何を? http://twitpic.com/17i4ze(via pipco)

zenigata:

johnnychallenge:

kikuzu:

katoyuu:

jumitaka:

54kan:

♬♬何か考えのある猫。半年前のことだ けど。トンボばかり7匹とってきて、自分で綺麗にならべてあんな姿で寝転んで彼は、何を? http://twitpic.com/17i4ze

(via pipco)

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highcampus:

Yomiuri On-Line (読売新聞)

素早く飛びかかって餌のハエを捕らえるハエトリグモの目は、一つの物体をピントが合った像とぼやけた像の2通りで同時にとらえ、その「ピンぼけ」の度合いから物体との距離を正確に測っていることを、大阪市立大学の寺北明久教授らが突き止めた。

 こうした視覚の仕組みがわかったのは初めて。ロボットなどへの応用も考えられるという。27日付の米科学誌サイエンスに発表した。

 人や多くの動物は、左右の目のわずかな見え方の違いから対象物までの距離を測り、奥行きを知覚する。

 寺北教授らは、ハエトリグモの目の網膜における光のとらえ方を分析。網膜は4層構造をしており、焦点がピタリと合う層とぼやける層があることがわかった。ピンぼけの程度は遠くのものほど小さく、近くのものほど大きくなるため、この違いから距離を測るらしい。このクモには目が八つあるが、奥行きを知覚できるのは正面の二つだけだった。
(2012年1月28日15時35分  読売新聞)

highcampus:

Yomiuri On-Line (読売新聞)

素早く飛びかかって餌のハエを捕らえるハエトリグモの目は、一つの物体をピントが合った像とぼやけた像の2通りで同時にとらえ、その「ピンぼけ」の度合いから物体との距離を正確に測っていることを、大阪市立大学の寺北明久教授らが突き止めた。

 こうした視覚の仕組みがわかったのは初めて。ロボットなどへの応用も考えられるという。27日付の米科学誌サイエンスに発表した。

 人や多くの動物は、左右の目のわずかな見え方の違いから対象物までの距離を測り、奥行きを知覚する。

 寺北教授らは、ハエトリグモの目の網膜における光のとらえ方を分析。網膜は4層構造をしており、焦点がピタリと合う層とぼやける層があることがわかった。ピンぼけの程度は遠くのものほど小さく、近くのものほど大きくなるため、この違いから距離を測るらしい。このクモには目が八つあるが、奥行きを知覚できるのは正面の二つだけだった。
(2012年1月28日15時35分 読売新聞)

(出典: dontrblgmezenigataから)

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1月 29 2012

なぜ、こうしたひとが橋下市長の手法に「ついてゆけない」のか朝生をみてわかったことがあって、
ようは「ついてゆけない」のはビジネスモデルが理解できないということだろう。

ビジネス脳がないと、橋下市長の行動則はたぶん理解しにくいのではないのか。
ビジネスをやってる人間からすると、橋下市長のやってることは至ってふつーのことだ。

(中略)

おおくの反橋下の思い込みに反して、政治とはもともと橋下市長が志向するようにビジネスモデルそのものだ。
国づくりの理念に燃えた明治政府も資金の調達と費用対効果で優先順位を決めた。
地方行政はとくに顕著で、たとえば優秀な自治体は「株式会社神戸市」などと言われるようにコスト意識と収益モデルをもっている。
こういうと、公務員が金儲けに精を出すなんてとんでもない、と言うひとが必ずでてくるけど、
弊害を気にして「やらない」のが今の日本のやる気のなさにつながってるのではないか。

無害な社会なんてないということを日本は新興国から学んだほうがいいとおもう。
あまりにも高潔すぎて国際基準から外れている。許容範囲をもたないと前に進む力が弱い。

薬師院やら香山リカやらの「ついてゆけないひと」は、少数を切り捨てる勇気をもてないかわいそうなひとだ。
少数を切り捨てるというだけでおそらく「大問題」になるのだろう。
結果、多数の最適化がとれないことになっても、それ自体にも不満をもつのでおんなじだ。
これが日本の縮図で、けっきょく、「ついてゆけないひと」というのは「決定できないひと」のことなんだ。
決定するための判断軸が多すぎて、しぼりこめないのだ。
だから、決定するひとが現れると、「保証」を要求する。「保証」がないと前に進めない人間なんだ。
橋下市長があたらしいことを打ち出すだけで恐怖し安全かどうか担保をしろという彼らこそ「モンスター」にちがいない。

橋下市長に「ついてゆけない」ひとたち。 - 所長サンの哲学的投資生活 ( フィリピン攻略篇 )

朝生を見ていないので「ついてゆけないひと」という評価が適切かどうかすら私には分かりませんが…。

論者のいうとおり、「橋下市長の行動はビジネスの視点からみると理解できる」と仮定しましょう。つまり、市長は経済的合理化を図っているという評価ですね。

ただ、この仮定を受け入れてもなお、問題は残ります。それは、論者の想定とは異なり、「政治とはもともと…ビジネスモデルそのもの」ではないのでは?ということです。

「小さな政府」を目指す立場があります。これは、民間で提供できるサービスはなるべく民間に任せて、政府・行政の規模と権限を小さくしようと指向するものです。しかし、「小さな政府」を支持していても、政府をなくしてしまえと主張する人はいません。

それはなぜかというと、市場が失敗してしまうからです。

「市場の失敗」典型例とされるのが、灯台です。灯台は夜の航海を安全にしてくれる必要な設備です。でも、灯台がビジネスとして成立するかというと、そうはいきません。光は、料金を払った船も払わない船も等しく導いてくれます。そうなると、料金を払うなんて損のような気がしてきて、支払わなくなるひとが増加するでしょう。でも、それでは灯台の経営が立ち行かなくなってしまいます。灯台を廃業されたら、夜の海は危険になり、やがては航海できなくなってしまうにもかかわらず……。

こういう、市場メカニズムがはたらくことで、かえって経済的な「効率性」が達成されなくなってしまうことを「市場の失敗」といいます。灯台のほかにも、環境問題などが典型例とされています。

つまり、政府・行政には、民間だとたちゆかないけれど、でも、あった方がみんなのためになるものを引受けているという部分もあるのです(もちろん、民間で代替できそうなサービスを行っている場合もありますが)。

そうすると、「政治とはもともと…ビジネスモデルそのもの」とはいえない部分もある、という結論に至ると思います。

行政の効率化をめざす手段として、経営的見地を生かす、という視点は10年くらい前からの流行です。ただ、ビジネス的見地を徹底し、不採算部門を切り捨てるのであれば、それは政治や行政の意義そのものの放棄にあたります。

なお、政治や行政とは少しそれてしまいますが…「多数の最適化」を理由として過度の「少数」に対する「切り捨て」が起きないように、法という「足かせ」が、政治家や行政府にかされています。そのような束縛を、一般論としてやめる選択を、大阪市民はしたのでしょうか?(論者のいう「少数を切り捨てる」ということが、何を意味し、どの程度を想定しているか、必ずしも明らかではありませんけれども)

価値観の多元化する社会において「決定するための判断軸が多すぎて、しぼりこめない」というのは、もっともなことだと思います。また、その「遅さ」に対する焦燥やいらだちも理解できるのですが…。橋下市長(または「反橋下派」)の(個別具体の政策でなく)姿勢そのものに対する議論はよくわからないことが多いです。

(via inf)

(pdl2hから)

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